福岡帰省中央区白金1丁目生まれ産婦人科は渡辺通り清川
戦後の匂いがまだある時
1960年代戦後15年
高度成長期
国鉄直方の炭鉱に
門司港 若松港が賑わい
八幡製鉄所 鉄鋼から
ゼンリン TOTO と大企業で栄え
100万都市に
生まれて白金幼稚園 高宮小学校時代は
まだ車も少なく 砂利道で
リヤカー バイク 三輪車の時代
福岡市 電車が走り 西新 博多駅は中洲より
平尾に虫取り 山だった
野間から先も何も無い
田んぼと畑と山に川
それが大都会に 博多どんたく
博多山笠ぐらいで商売の街だったが
九電とか福岡空港は板付空港だった
新幹線が博多へ
国鉄が博多へ
新聞社も北九州から
東京 大阪本社の企業が福岡へ
交通の便が良く 博多港もある
九州の中心都市は熊本だった
公務員の本社みたいに
天神にデパートが集まり
各地からでも当時はみんなバスで
それから地下鉄に地下街ができ
鐘紡の工場跡がキャナルシティに
プールに行ってた
白金商店街はラーメン屋にうどん屋
酒屋に肉屋 スナック 銭湯 パーマ屋
賑わっていたが
大家の銭湯が博打で負けて
立ち退きに小学校5年の時に
裁判してお金もらって南区へ
商売も終わった おじいちゃんのコネで
父も国鉄の新幹線整備会社へ
再開発でビルに
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