ちょい悪アスリート帰宅部からスキーが運動最初
福岡市高宮小学校時代
商店街友達もタバコ屋 合鍵屋 貸し本屋
饅頭屋 弁護士 店の手伝い
遊んで勉強してなく 野球 足が速い体育だけいい
中学時代 転校 サラリーマンが多い 農家
勉強を始める クラブは店の手伝いと新聞配達
足は速く学級対抗で陸上部に勝
高校時代 仏壇屋 呉服屋 地主 中小企業の社長
郵便配達 店の手伝い 大濠公園競走 体育部の次に足は速い
バスケット日本一の先生駅伝日本一の先生と体育は本格的
推薦で福岡大学へおぼっちゃんが多い
ディスコ スーパーでバイト 遊んでた
特技は足が速いを生かせなかった
大学の友達がスキーインストラクターで
板とブーツを買って大山5日何とか滑れる様に
19歳から21歳 信州へ 赤倉 斑尾 黒姫へ1週間
初めてのスポーツ 教えてもらって
ファッション業界時代 百貨店担当はゴルフ 接待
しかしやらなくて ディスコに
テニスをファッション仲間と女性好き
ファッション仲間とスキーに
変わっているB型 感覚で動いて
サラリーマンではなく 個人で
これも 親が商売の影響か
みんな独立してメーカーを目指す
そんな風土のなかアパレル衰退 倒産から転職
サラリーマンの組織にも
合わなかったが我慢我慢
でも仕事よりも遊びで
何とか子供を育て定年退職
スキーはそれからも継続
バブル時代1800万のスキー人口が
スノーボードに変わって400万の減少
継続は力なりうまくなった
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